「闇から光へ」
佐藤 雅弘
20才頃の私は人間恐怖症、対人恐怖症という感じでした。
高校時代に色々と言われたことが根にあったのでしょう。その時から人の目を気にし、皆が自分を悪く言っているのではないかと思うようになりました。ですから、社会に出てからも、人と会わない様な仕事をして、家に帰ってからは外には出ないという生活が7年程続きました。
絶えず不安が私を襲い、いつも何かを考えている、この先どうなっていくんだろう、お先真っ暗と言った感じでした。更に追い討ちをかけるように母親が行方不明となってしまいました。そのとき家では和洋菓子店をしていたのですが経営も行き詰まり、建ててそんなに経っていない家を出ることになり、それにつれて自分も周りの環境も悪くなっていき、とうとう自殺を図るところまでいってしまいました。でも死ぬことはできず、なおもつらい日々が続きました。
そんなある日、勤めていた所に一人の人がアルバイトとして入ってきました。その人と話していくうちに、この人は何かが違うと感じ始めました。実はその人はクリスチャンでした。そして、私はその人に誘われて、初めて教会へ行きました。
聖書を読むと、マタイの福音書5章4節に『悲しむものは幸いです。その人たちは慰められるからです。』書かれてあり、私はこの御言葉に励ましを受けました。
礼拝に出席し、説教を聴いては泣き、賛美を聞いては泣き、何よりも神様が私を造り、高価で尊いとおっしゃって下さって"愛されているんだ"って分かって1993年にすぐ洗礼を受けました。過去の傷も癒され、平安をいただき恐れ不安、考えることが無くなりました。
なんと、人間恐怖症だった私が、営業の仕事に就いて働く事が出来る様になりました。
その後、京都へ転勤となって日曜日が休めない、疲れのために日曜日が休みであったとしても寝ていて教会には行けてない生活となってしまいました。
しかし教会に集いたい、神様との交わりをしたいという飢え渇きはずっとあって、母教会となる所、信仰の回復を祈り求めておりました。するとどうでしょう、神様の不思議な導きにより和歌山へと導かれました。考えもしなかった事です。
しかも伴侶となる方をも備えてくださいました。神様が新たなことを為してくださいました。
大いなる祝福に期待します。アブラハムが、神様によって示されて行った約束の地カナンで祝福されたように。
私にとって示された新しい地、和歌山で主を礼拝し主に仕えていこうと思います。
第2コリント5章17節『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』
KCEC 紀ノ川キリスト福音教会
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